昔々のお話です。千年か二千年か三千年か、そのくらい昔のお話です。そんなに昔ですから、世の中も今とは随分違っていましたが、人間のする事はあまり変わらなかったかも知れません。
雲入(クモリ)はお父さんやお母さんや親戚の人たちと一緒に、あまり大きくない川の側で住んでいました。水は生活にどうしても必要なものですから、どこの集落も湧き水や川の近くに作られるものです。この辺りには大小三つの川が流れていますから、家族親戚十人位で住んでいる集落が、あちらにこちらにと点在しています。
雲入もそのどこにでもあるような集落で、どこにでもあるような子どもの暮らしをしておりました。
女の人たちは木の実や草の実を取り余った茎や葉で布を織り、男の人たちは獣や鳥を狩りに行っている間、子どもの仕事は川で魚を取ったり茅を刈って運んだりすることでした。
と言っても、ずっと仕事ばかりしているわけではありません。笹で船を作って流しっこしたり、タンポポの茎で水車を作って回したり、松葉ずもうをしたり、桑の実をつまみ食いしたり、石投げをしたり、椿の実で笛を作ったり、暑くなったら川に飛び込んで泳いだり、疲れて大きい石の上で寝転がっているうちに眠ってしまったり。大人たちは大人たちで忙しくしていますから、誰に怒られることもありません。道草をどれだけしようがとにかく日が暮れる前に、刈った茅を背負うなり罠にかかっていた魚をかごに入れるなりして家に帰りさえすればいいのでした。
ある時、雲入は高い熱を出して寝込んでしまいました。体中に赤いポツポツが出る、よくある熱病でした。
この時代、薬もなければお医者さんもいません。怪我や病気をするということは死を覚悟するのと同じことでした。死は今よりもっと身近に、たくさんありました。峰の巫女様に来ていただいて、ご祈祷してもらうくらいしかできませんでした。
お母さんはとても心配し、昼も夜も付きっきりで看病しました。本当は雲入にはお兄さんがいたのですが、小さい時にやっぱりこんなふうに熱を出して、眠ったままになってとうとう起き上がらなかったのです。お母さんはもうあんなのは悲しすぎましたから、川から汲んできた水で雲入の頭を冷やし続けました。雲入はそんなに心配しなくていいよと言おうとしたのですが、熱のせいでちゃんとした言葉にならないのでした。お母さんは雲入の額に手を乗せてくれました。
雲入は、ひんやりして気持ちがいいな、と思いました。体はだるいし息は苦しいのでしたが、お母さんの冷たい手が乗ると、すこし頭がせいせいする気がしたのでした。
御前原に人の形に似た石があります。いつからあるのか誰も知りませんが、不思議な形でしたから、子どもに着せるように服を着せていましたし、誰となく毎日花やら栗やら栃の実やらをお供えしているのです。
そしていつからか、この人形石様を砕いて飲むと、どんな熱病もたちどころに治ってしまうと言われるようになりました。
何でも、熱を出した子どもの母親が、夢の中でこの人形石様が手招きするのを見て近づいてみますと、人形石様は粉々に砕け、その粉が子どもの口に入りました。そうしましたら子どもはたちまち元気になって、床から起き上がったというのでした。
目が覚めた母親は看病疲れでおかしな夢を見たものだと思いましたが、子どもが治るものなら何でもしたいところでしたから、とにかく夢の通りにしてみる事にしたのです。とは言え、村の人たちの信仰を集めている人形石様ですから、人目をはばかって夜中にこっそり出かけ、ほんのちょっとだけ石を砕いて家に持ち帰り、息も絶え絶えの子どもに飲ませたのでした。そうしましたら、次の日にはまるで嘘のように子どもの熱が引いたというのでした。
本当か嘘かわからない話でしたし、人形石様を砕くというのはさすがに気が引けましたから、誰も表立ってはしませんが、よほど悩んだ母親などが時々こっそり分けてもらいに行くのを咎め立てする者はいませんでした。雲入の母親も、そういうわけで雲入が熱を出して何日目かの夜中に、静かに出かけていったのです。一緒に住んでいる家族はみんなそれに気が付きましたが、知らないふりで横になったままにしていました。
お母さんは人形石様の粉を雲入に飲ませました。雲入は熱でぼんやりしてうまく飲み込めませんでしたから、お母さんは口移しで飲ませました。
果たして、次の日には、雲入の熱はすっかり下がっていたのでした。
お母さんは、上の子のように雲入を失わずに済んだと喜びましたが、そのままでは済みませんでした。
今度はお母さんが熱病に取り憑かれてしまったのです。
お母さんの体はとても熱いのに寒い寒いと言うので、雲入は茅のミノと、まだ編んでいない茅もあるだけかけました。水をたくさん飲みたがるので、雲入は何度も川へ行きました。水の他には喉を通らないのでした。何日かが同じように過ぎました。
雲入のお父さんが夜中に人形石様のところへ行こうとした時、叔母さんが起き上がってきて止めました。
「お石様を砕くなんて、やっぱり恐れ多いことだったんだよ。呪われてしまうよ。」
「お石様はそのような慈悲のないお方ではなかろうよ。」
「でも、お嫁様はあの有様じゃあないの。今度はお前にバチが当たって、お前までが熱病にかかってしまうよ。行ってはいけないよ。」
「しかし……」
「雲入は子どもだから、あれがなければ死んでいたかもしれないけれど、大人なら病と戦う力もあるでしょう。考え直すんだよ。」
叔母さんがどうしても止めるので、お父さんは人形石様のところへ行くことはありませんでした。
結局、お母さんはそのまま起き上がって来ませんでした。どこにでもある事だとしても、雲入にとっては恐ろしく悲しすぎる出来事でした。
雲入は他の子どもたちと川や茅っ原へ行くのをやめてしまいました。みんなはいつものように、ガマの穂を振って粉を飛ばしたり、カワニナを獲ったり、獲っているうちに泳ぎはじめていつの間にか皆で遊ぶばかりになっていたり、茅をやたらに切ってしまって半分も運んで帰れなくなったり、ドングリを落とそうとして毛虫に刺されたり、家へ持ち帰るまで我慢できずにとった魚を川で食べたりしていました。でも、雲入はどうしても一緒に遊ぶ気持ちになれなかったのです。朝から晩までお母さんのお墓の前にいるようになりました。
お父さんは毎日狩りから帰ると、何か食べるものを持ってお墓へ行きました。雲入と一緒にご飯を食べ、日が暮れるまで仕事をした後、お墓からおんぶして帰りました。そうしないと雲入は、夜中じゅうでもお墓の前にいるのでした。
「お父さん。」
「なんだい。」
「お母さんは、ぼくのせいでお石様のバチが当たって死んじゃったの。」
「誰がそう言うのかい。」
「色んな人がみんな言うよ。」
「お父さんはそう思わない。お兄さんの話はしただろう。」
「うん。熱が出て死んじゃったんでしょう。」
「お前は運が良かったが、熱が出て死んでしまう人はたくさんいる。お兄さんもお母さんも運が悪かったんだ。それだけだよ。お母さんがあちらに行ったから、お兄さんは寂しくなくなって良かったかも知れないね。」
「ぼくはさびしいな。」
「……そうだな。」
狩りの仕事は大人の男たちが協力してするものです。あちこちに罠を仕掛けておき、次の日朝から順番に見て回って、罠に何か掛かっていればしめたものです。槍で突いてとどめを刺して、村へ担いで帰れば、その場で宴会が始まります。お肉でお腹一杯になれば、次の日は男たちはすっかりお休みです。
とはいえ、罠は毎日成功しているとは限りません。罠を見回る間に良さそうな獲物を見かければ、その場で狩りが始まります。だから集落の男全員で行動する必要があるのです。イノシシのような大物を狩るのは一人や二人ではできない大仕事ですから。雲入のお父さんも、本当ならこの狩りに参加しなくてはなりません。
でもお父さんは男たちと狩りに行くのをやめて、雲入を連れて山へ行くようになりました。ずっとお墓の前にいる雲入を放っておけなかったのでしょう。
お父さんのお父さん、つまり雲入のおじいさんは、元は「山の人」でした。多くの人は里に住んで、採りものをしに時々山に入るのですが、ずっと山に住んだまま降りてこない人たちもいるのです。
生まれる前に死んでしまったので雲入は覚えていませんが、里の娘、つまり雲入のおばあさんと結婚して里に住むようになってからも、おじいさんは毎日山へ行っていて、息子が大きくなってからは一緒に山に入っていたそうです。だから「山の人」の息子である雲入のお父さんも、半分くらいは「山の人」でした。お父さんが村の男たちに混じって狩りに行くようになったのは子どもが生まれてからで、それまではおじいさんと、おじいさんが亡くなってからは一人で、毎日山へ行って自由に狩りをしていたのです。
雲入は山に入るのはまだまだ早い年齢でしたが、お父さんは雲入には気分転換が必要だと思ったのでしょう。お父さんにとっては慣れた道ですし、教えるべきことはたくさんあって、早く始めるのも悪くはありません。
お父さんは山を行きながら、何でもみんな雲入に教えました。野生の牛馬のいる野原、湧き水の場所、実のなる木のありか、獣の通った跡の追いかけ方、ヤマイモやアケビを見つけては取り、ジバチの穴をいぶして掘り、歳古りたフジの太いツルでブランコをして遊びました。フジツルはとても丈夫ですから、二人で座ってぶんぶんこいでも、切れたりはしないのです。そういう時は二人で笑いましたし、木の根っ子の輪っかに足を引っ掛けて転べば、雲入はわんわん泣きました。鳥やウサギを弓矢で射て捕りました。男たちが皆で巻狩りをする時は槍を使いますが、本当はこの辺りの者たちは弓のほうがもっと上手です。女の子でも小さい弓矢を持っていて、野っ原をネズミやイタチが走っていくのを見れば、すかさず射たりするのです。雲入もおもちゃのような弓矢を持って行きましたが、まだお父さんのようにうまくは行きません。
天気が急に変われば、山で野宿することもありました。でも雲入は、日暮れまでには村へ帰りたがりました。家が近づくと、待ちきれない様子で走り出します。時々は、山から持ち帰った木の実やツルの束を放り出して走る事もありました。お父さんが全部拾ってあとを追いかけますと、雲入はやっぱりお母さんのお墓の前で座っているのです。お父さんは何も言わずに、山から採って来たものを広げて二人で晩御飯を食べます。お父さんが荷物を家に持っていってひと仕事終える頃には、雲入はお墓の前で眠ってしまっていますから、いつものようにおんぶして家に連れて帰るのでした。
二人で山行を始めてみれば、いろいろと担いで重いものを持っているお父さんよりも、弓矢とカゴ一つの雲入のほうがずっと身軽に坂道を登って、目ざとく山鳩やチタケなど見つけたりするのでした。最初は心配していた叔母さんも、何も言わずに弁当だけ持たせてくれるようになりました。
「ででっぽう、ででっぽう
山鳩は山に帰るよ、
娘は山に手を振るよ、
ででっぽう、ででっぽう」
二人は歌いながら山を行きます。賑やなほうがいいのです。一人や二人ではクマやイノシシが出ても倒しきれませんし、音を立てていれば向こうから警戒して近寄って来ませんから。また、歌っていると遠くから別の歌声がしてくることもあります。「山の人」です。山の人の声は腹の奥底のほうから湧きあがってきて、遠くからでもとてもよく通るのでした。
このあたりの山では塩が採れますから、山の人たちは塩は欲しがりません。山の上では育たない草で編んだ布が欲しいのです。それでお父さんはいつも山へ行く時、里の女たちの織った布を背負っていきます。山の人はだいたい毛皮を着ています。その日狩った獲物や、もう剥いでなめしてある皮と、持っていった布とを交換するのです。山の人の毛皮は上等なものばかりですから、里ではとても喜ばれました。
もっと重要なのは情報交換です。あちらの崖がくずれたとか、あの沢のあたりに気の荒いクマが出るようになったとか、その時山にある危険を互いに知らせるのは山での礼儀です。
天気を教えてくれる人もありました。雨が降る直前なら雨の匂いがしてきますから、それは雲入にもわかりました。でも、山の人たちにはもっとずっと早く天候の変化がわかるようなのです。
「嵐になるぞ。早いところ外界に降りるか、一晩過ごせる洞穴に落ち着いたほうがいい。」
見上げても青い空に風が吹いているばかりで、とても嵐が来るとは思えませんでしたが、お父さんは雲入を急がせて山を降りました。その晩は本当に物凄い嵐になって、あの時急いでいなければ山から帰れなくなっていたでしょう。
そうやって雲入は、少しずつ山のことを知っていったのです。