おしらじのあを 第七話

 転がるように雲入は村へ駆け戻り、夜半となってはいましたが峰の巫女様の神殿におしかけました。誰に面を打ってもらうべきかの見当がつかず、ここは相応しい者を巫女様に選び出していただくのがよいだろうと考えたのです。
 巫女様はすでに寝んでいましたが、雲入の勢いがただごとではないので起きて話を聞くことにしました。
 山で起きたことを話して聞かされるうち、巫女様の表情にも明るいものが差してきました。雲入の言うことが本当ならば、「降り面」に雨乞いすれば雨が降るのです。もちろん巫女様もこの日照り続きに幾度も雨乞いの祭りをしているのですが、残念ながら声は天に届いていないようで、雨の神様にお働きいただくには至っていませんでした。

「萩、牡丹。夜分にすまぬが甚五郎を呼んできておくれ。」
 萩と牡丹は巫女様の身の回りを手伝っている娘達で、どちらかが次の巫女様になるのだろうと見られています。もう夜ですから男の雲入が行くべきなのかも知れませんが、正直雲入は山を走り通しでもう一歩も動けません。

 甚五郎は村では日陰の存在です。目立つこともなくひっそり暮らしている男です。
 村で花形の男の仕事といえばやはり狩りで、つまり弓や槍の上手が一目置かれています。甚五郎はどちらもよくしません。そのかわり、壺を作ったり石を削ったり竹を編んだりなどが得意なのです。男たちは若い男に仕事を教えるのも役目だと思っていますから、甚五郎も何度か狩りに連れ出されたりもしたのですが、結局役に立ちませんでした。
 甚五郎は男手としては失格の烙印を押されてしまったわけですが、巫女様はその器用なことを愛で、祭祀に使う道具や器や飾り物を作らせたり神殿の修繕をさせたり重用しているのでした。甚五郎もそれでどうにか面目を保って、巫女様の仕事のない時は勝手に石や木を削って、ネズミやらシカやらクマやらの形を掘り出したりしているのです。

 呼ばれて参上した甚五郎に、巫女様は事のあらましを話し、甚五郎に狐の赤松を見せました。
「甚五郎、どう見る。」
 甚五郎は吸い込まれるようにして丸太をじいと見つめておりましたが、やがてぽつぽつと物を言うのでした。
「不思議な気配の丸太です。このようなものは見たことがありません。大きい仕事になりそうですが……削ってみたい……できる……と思います……」
「よし。雨乞いの面と照り乞いの面じゃ。任せたぞ。」
 少し休んでどうにか立ち上がった雲入も手伝って、甚五郎と二人で丸太を甚五郎の仕事場に運び込みました。雲入はそこで力尽き、ごろりと横になって眠ってしまいました。
 甚五郎は月明かりの中ただ赤松と向き合い、いつも細工に使っている石のひとつを掴むと、こつこつと丸太を削りはじめたのです。

 萩か牡丹が運んでくる食べ物と水を口に流し込む他はずっと赤松に石を打ちつけ続けること三日。甚五郎が何か作るときはいつでも脇目もふらず作るのですが、それでも徹夜しても一晩がせいぜいです。今までこれほどのめりこんで打ち込んだことはなかったのです。手にまめができて潰れても構わず、甚五郎は木が呼びかけ導くままに手を動かし続けました。そんなことができたのは、この赤松が特別だったからなのでしょう。
 そうして甚五郎の面は完成したのです。
 酷使し続けたために震えがきている手で、皿代わりに用意してあった大きい芋の葉と蕗の葉を掴み、面を一つずつ葉でくるみました。
 雲入は完成は今か今かと待っていましたから、ずっとここに詰めていました。と言っても見ている他に何ができるでもありません。今も仕事場の隅でぐうぐう眠っていたのですが、甚五郎に揺り起こされました。
「俺の仕事は終わった。これを巫女様に届けてくれ。」
 寝ぼけていた目は一気に覚めました。雲入は二つの面をしっかり抱え、神殿へ飛んで行きました。見届けた甚五郎は、そのまま倒れるように眠ってしまいました。

 ちょうど夜明け時でした。今日も雲ひとつない晴天で、雨などひと粒だって降りそうにありません。神殿の女たちも起き上がったところで、走ってきた雲入を喜んで迎え入れました。

「それで、この芋と蕗はどちらが降り面様でどちらが照り面様かの。」
 雲入はあっと言いました。
「聞くのを忘れました……甚五郎は寝ていますが起こして聞きましょう。」
「よい。萩、牡丹、面を一つずつ持て。表に出てみよ。」
 萩と牡丹は、どちらがどちらかはわかりませんが降り面と照り面を持って、神殿の庭に出ました。
「萩。お面様を開いてみよ。」
 萩は言われた通り、蕗の葉を開いてお面の一つを空に掲げてみました。お面は赤い木地に大きな鼻の、天狗のようなお面です。何の彩色も施さない木地だけの面なのに、まるで本当に生きている赤ら顔の化け物の顔のように見え、雲入はそら恐ろしく思いました。しかし天は相変わらず晴れです。

「萩、お面様を仕舞うのじゃ。牡丹、今度はそちらのお面様を開いてみよ。」
 今度は牡丹が芋の葉を開いて面を捧げ持ちました。ほとんど同じ形の面で、見た目だけではどちらがどちらやら判別がつきません。
 果たして、程なく冷たい風がさあと吹きはじめ、にわかに空に雲が吹き寄せてきたのです。何という霊験でしょうか。間違いなくこれが「降り面」です。

「萩、牡丹。雲入を使って良い、急ぎ庭先に祭壇をしつらえよ。」
 巫女様はそう指図し奥向きで祭祀を始める身支度にとりかかりました。三人は神殿から祭祀に使う台や灯明などを持ち出して調え、摘んできた花や枝葉で飾り、最後に一段高い台に降り面を据えました。神殿で何か始まりそうだという時は峰の下からそれをうかがう事ができますから、準備が終わる頃には何事が始まるのかと、近くの村人たちもぱらぱらと集まってきたのです。

 効果はてきめんでした。巫女様のご祈祷が始まるや、朝だと言うのに真っ暗になるほど空に雲が押し寄せてきて、ずいぶんぶりに雷様がごろごろ言い始めたのです。カエルの声も聞こえます。
 やがて、ぽつり、ぽつり、と、何ヶ月かぶりの雨が降り出したのでした。雨と風で祭壇に灯していた灯明は消えてしまいましたが問題はありません、巫女様の声はすでに天に届き、降り面様の霊験は天水となってあらわれたのですから。

「雨だ!」
「雨だぞ!」
「ありがたい、ありがたいことじゃ。」

 村人たちも、抱き合い踊りだす者、巫女様の後ろで手を合わせる者、感極まって泣き出す者と、それぞれにたいそうな喜びようでした。
 雲入はと言えば、なんだか力が抜けてへなへなと座り込んでしまいました。高原山を見はるかすと、山の上にも久しぶりの黒い雲がかかっていて、あちらでも雨が降っているようです。これで空姫の池にも水が入り、空姫も雲入の知っている、あの空姫のままでいてくれるはずです。
「ああ。良かった。良かった。」
 雲入はそう繰り返しながら涙を流したのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です