『おしらじのあを』には、矢板市周辺の民話や歴史的事実などを多数盛り込んでいます。ここの読者さんたちにはクロスオーバー小説的な何かだと思っていただけるとわかりやすいのではないでしょうか。ので、物語の展開が何故そうなっているのかを作者が解説します。普通、小説家というものはお話を書いたら解説はそれが得意な他の人に任せるものですが、私はどちらかといえば解説のほうが得手なので、そこまで書いてしまいます。
尚、以下に挙げるものはだいたい実在の文化財ということになりますが、矢板市民でもそれらがあると知ってはいても、場所までは知らない人がほとんどです。詳しいことは矢板市役所に問い合わせるか、市のホームページをご覧になるのが宜しいかと思います。
黒曜石
高原山に黒曜石の鉱脈が発見された時はその筋の人たちが沸いたものですが、調査の結果、残念ながら高原山の黒曜石はあまり品質が良くないことがわかりました。それでも静岡県や長野県の遺跡で出土していますから、当時そこまで運ばれていった事実があるわけですね。縄文時代における黒曜石の需要は凄いですね。
『おしらじのあを』が縄文から弥生時代に移り変わる頃を描いているのは、黒曜石が武器として威力があるのがこの時代までだからです。黒曜石を題材に入れなければ、もう少し新しい時代の物語として作ったのですが。縄文時代の風物に合わせすぎると現代の人が見る時の感覚とかなり違いますので、その辺りのすり合わせは悩んだところです。
関東近辺の古墳や縄文遺跡等で出土する黒曜石で最高品質なのは神津島産のもの、次点は八ヶ岳産です。両方の産とも関東の縄文遺跡、さらに遠い遺跡にも広く分布しており、縄文時代であっても意外と交易は広範囲に行われていたみたいでびっくりしますよね。矢板市の遺跡でも、高原山の黒曜石の他、この二産地の黒曜石が多く出ています。高原山の神様が自分の牙に自信がないエピソードはこのへんを典拠にしてます。
ちなみに神津島には一度だけ行ったことありますが、白砂の南の島ですね。めっちゃいいところでした、もう一度行きたいな!でも船で一晩かかったし近い場所ではないですよ。そんなところからわざわざ運んでいったんですから、神津島産の黒曜石はよほど需要があったんでしょうね。
降り面照り面
矢板市の木幡神社に古くから伝わる木彫りのお面の宝物です。降り面に願うと雨が振り、照り面に願うと日が照ると言われています。なんと言っても最強の呪文は天候系ですから、このお面かなり最強なマジックアイテムと言えますね。
木幡神社は紆余曲折あって現在は日光東照宮の分社ということになっているようですが、創建自体は江戸時代よりずっと古いです。坂上田村麻呂が東征の前に、この地で戦勝を祈願してから出征し、勝利して凱旋する折、戦果に感謝して神社を建てたのが始まりだとか。それは古いわー。
でも、この地を選んで祈願したからには、神社を建てる前にすでに聖地扱いだったのではないかと考え、『おしらじのあを』には峰の巫女様というキャラクターを出しています。元は土地神様が祭られていた場所に東征に来た将軍が戦神の社を建てた的な脳内設定です。そこはフィクションですから。
木幡神社に残っている建築は焼失などあって室町時代のもののようですが、本殿、楼門とも国指定の重要文化財となっていますので、お寄りになる価値があるかと思います。また鉄製の灯籠は非常に珍しいもので、どういう経緯があったかはわかりませんが、日光東照宮にあったものが移設されたらしいです。これも見る価値があると思います。
神社の裏手に湧き水があり、枯れたことがないそうです。田村麻呂が最初に神社に収めたのは「降り面」だけだったそうなので、降り面様の神通力なのでしょうか。金網がかかってますので残念ながら汲むことはできません。
祭礼日には神楽が行われ、これも見応えあるものですので機会があればご覧になってください。降り面照り面を着けて踊る演目もあるようなのですが、木端神社の神楽は長丁場、13演目ありますのでズバリそれがご覧になれるかどうかは保証できません。子供の頃は毎年行ってたので見たことある気がするんですが、だいたい寒くて神楽に張り付いてはいられません泣。
ちなみに二つあるはずのお面のうち、降り面は本当は失われたままだとか、保管していた家にたたりがあったので結局戻ってきただとか、色々言われております。本当の所どうなのかは藪の中。これはもう脳内で補完するしかありません。これも『おしらじのあを』にエピソードとして盛り込んであります。つまりそのへんフィクションです。
はしか地蔵
はしかに限らず熱病全般、このお地蔵様を少し砕いて飲ませるとたちまち治ると言われています。おかげで砕かれすぎて、今となってはお地蔵様の原形をとどめていません。現代においてはお医者さんのお薬を飲むほうが確実ですから、こっそり砕くのはおやめくださいね。
お地蔵様を砕くのは気が引ける話ですから当時もこっそり行われていたのですが、たたりがあったとの話はありません。そこはお地蔵様の菩薩心の成せるところなのでしょう。雲入のお母さんは熱病で亡くなる結末になってしまいますが、たたりではなく子どもなら軽く済むはしかがうつって、大人では重症化することがあるのが原因だと思います。そういうのは当時の人にはたたりに見えたかもしれません。
雲入遺跡
箒川沿いの遺跡です。素敵な名前なので主人公の名前として使わせていただきました。でも雲入さんは箒川でなく内川支流のどこかに住んでいる設定です。箒川はこの時代にはずっと東のほうにあったということで、ちょっと矢板市内から離れすぎてしまいますので。
池の水抜けますか
おしらじの滝は雨が降らないと滝がなくなるところから、水源の多くを天水に依存しているのは間違いありませんが、ずうっと雨が降らなくて池そのものが水なしになって消えてなくなることはあるのか?というと、ないらしいです。岩肌から池に染み出してきている水がけっこう多いですから。以前は近づいて観察できたのですが、観光地化してから柵ができてしまいました。
池の水空っぽになることあるんだー、みたいな誤解が生じるのもあれなので、現実には多分そういうことはないですと言っておきます。この作品はフィクションですよとあっちこっちに書いてはおくわけですが、別名「雨乞い池」と呼ばれてはいますし、数千年ごとのレベルなら物凄い干ばつで干上がったりしないかな?との素朴な疑問で書きました。多分フィクションです。
左甚五郎
日光東照宮の有名な木彫りのネコさん「眠り猫」。この作者が左甚五郎です。才能を妬まれ右腕を切り落とされたのですが、左手で掘り続けたので左甚五郎と呼ばれているそうですよ。天才彫師ですよね。
縄文時代の降り面照り面を作った人物の名前が甚五郎なのは、一種のスターシステムです。栃木県民的には、天才彫刻家と言ったら左甚五郎なのです。
この人は講談などにも色々と伝説がある人ですが、水神の竜の彫り物を彫ったら雨が降ったなんて話も残っていますので、降り面伝説との合わせ技で私も一つ伝説を加えてみた次第です。
ちなみに眠り猫の本物は有料区画にありますが、すごい高い桁の上にある小さい彫り物なので、肉眼ではまめつぶのようにしか見えません。せっかくお金を払うんですから、オペラグラスなどを持参なさることをおすすめします。
これまた左甚五郎作と言われる「見猿聞か猿言わ猿」も、私が小さい頃は無料で見られた気がするんですけど、世界遺産になって改修されてからあっちゃこっちゃが有料になってしまいました。
修復は今も続いてますので、完全に修復が終わってから見に行くのも手かと思います。うちからは車で1時間半くらいなので、晴れた休日などその日に思い立って日光へ出かけることはよくあります。
九尾の狐
これまた地元的スターシステムで、都を追われ那須の山で退治された後も、石と化して毒の息を吐き続けていると言われる妖孤「玉藻の前」さんにもご出演いただきました。空姫ちゃんがぽややんなので悪女キャラも必要だと思いました笑。でもあんまり悪女になってない。
九尾の狐自体は『NARUTO』で世界的に有名になってますが、実際に日本各地にその伝説があると知らない人が多そうなので、観光協会とかはそこらへんを宣伝すると海外からの聖地巡礼客が呼べるんじゃないかと密かに思っています。
塩原温泉 那須温泉
おしらじの滝は矢板市内にありますが、矢板市と那須塩原市の境目あたりにありますので、どちらから山に入っても実は距離的にはあまり違いはありません。滝までは公共交通機関はありませんので、必然的に車で行くことになります。矢板駅前にレンタカー屋なんて気の利いたものはありませんので、駅からレンタカーであればあらかじめ予約なさってから来てくださいね。東京から車で来るなら矢板側から行ったほうが近いです。
塩原温泉は1200年前に開かれたと言われる古い温泉地です。都からも湯治に来た記録が残っているようですね。『おしらじのあを』では縄文時代にすでに近隣には知られていた設定にしてあります。那須温泉もね。
どちらも素晴らしい温泉地なのですが、冬場は車の運転に自信がないと行きにくいです。凍結スリップこわい。塩原温泉は電車とバスを乗り継ぐ方法もありますし、新宿から直行バスもあるので、東京から来る方が逆に楽かも知れません。
矢板にも温泉あります。山の下の市営の温泉は「おしらじの滝ラーメン(スープが青いよ)」が食べられるのはいいのですが、日帰りでお湯の質がいまいちなので、宿泊施設のある山の上の民営温泉のほうがおすすめです。せっけんが泡立たないので多分アルカリ性のお湯です。
大渡
お隣塩谷町の鬼怒川に宿場町がありました。名の通り渡しがあったところで、ここを超えると日光に入ったなという気分になりますね。
塩谷町は名水百選に選ばれた「尚仁沢湧水」で有名なところです。矢板なんぞ言うほど田舎じゃないじゃんとお思いの、本物の田舎暮らしを求める向きにおすすめです。日光市と矢板市の中間地点といったところで、ここも温泉複数あり。南側は宇都宮市と接しています。
目の付け所がシャープだね
『おしらじのあを』には関係ありませんが、台湾の鴻海社に買収されてしまったSHARPの工場跡地が矢板市にはあります。買収されてからしばらくは流通倉庫として使われていたのですが、今はすっかり引き払われて無人です。元はお城があった場所で(遺構もあるよ)矢板市の管理下にあります。
市の職員さんが「建物が老朽化する前に、使ってくださる企業様を大募集中です。よろしくお願いします。」と言ってますので、ここで宣伝しておきます。東北自動車道「矢板インターチェンジ」至近、使いみちはあると思います。
ちなみに、SHARPの社員さんたちが住んでいた木幡のアパート・一軒家にも空きが多数出ており、田舎暮らししてみたい方も適度に東京に近くておすすめです。私が東京へ出かける時は日帰りです。
矢板市自体は実は高校が3つある文教地区で、駅前に公式試合仕様のサッカー場なんかもありますよ。
どうしてこのお話を書いたのか
程度の差こそあれ、誰にでも地元愛ってあるんじゃないでしょうか。個人的には「故郷は遠きにありて思うもの」派ではありますが。
「おしらじの滝」の突然の観光地化は、降って湧いたような狐につままれたような話で、でも滝のことを知れば皆さんが惹かれる気持ちもわかります。これぞパワースポットですよね。
そして頭にひらめき浮かんだ物語に動かされ、四苦八苦しながらどうにか書いたのが『おしらじのあを』です。町興しのお役にでも立てばと思っています。お約束を書いておくと、この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件等とは一切関係ありません。
何があるでもないけれど、矢板で育った私にはやっぱり故郷です。あんまり廃れてもらっても寂しいですから、低空飛行で構わないので、そこそこ飛び続けていってもらいたいものです。